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三瀬作品を見ていて、なぜ自分が共感を覚えるのか考えていた。


 

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三瀬作品を見て考えたこと

三瀬作品を見ていて、
なぜ自分が共感を覚えるのか考えていた。

錆とか、朽ちかけた木とかの、
いったんは命を枯れさせてしまった素材

いつか薄れていく記憶
忘れ去られていく風景

それらに再び命を吹き込んでいくその手つき

枯れてしまったかに見える素材自身が秘めている
生命力を信じる力。

僕が使っている材料は、三瀬さんが使う錆とかとはまったく違う、
ぐにゃぐにゃずるずるの素材だけれど、
素材自身の力を信じて、素材が力を発揮できる場所を探して制作していくという点では、
どこか重なるところがあるような気がしている。

浮遊体アートの材料は人工筋肉になりきることができず、
工業用材料としては、ある意味あきらめられてしまった取り柄のない素材だ。

でもその素材が、たまに見せてくれる、はかない薄さが、
美しさに転じるはずの瞬間を信じて、僕は制作を続けてきた。

不完全な材料、アート制作に未熟な自分自身や
材料を触った経験のないスタッフ達と一緒に、
ものづくりをしていくということ。

三瀬さんが学校で学んだはずの日本画の伝統的な素材ではなくて、
独自の素材を選んできたということ。

異素材を選び、対話していくという制作の中では、
自分の内面を表現するといった問題の前に、
技術的なレベルでの素材との真摯なコミュニケーションが要求されてきたはずだ。

格闘してみたり、なだめてみたり、時間をかけてじっくり育ってくるのを待ってみたり。

そういった素材との対話の仕方が、
技術者だった僕にとって共感できるところが多かったのだと思う。

素材と対話しつづけ、技術をつくしても、埋めることのできない隙間は祈りで乗り越えていくしかない。

三瀬作品を見ていて強く感じるのは「祈り」だ。

そういえば、いつだったか、
浮遊代理店で三瀬さんの関わった企画で、
彼の教えていたたくさんの生徒達が目をつむって「祈る」姿を、
三瀬さんの友人の大西さんが写真に撮り
壁一杯に並べるという展覧会があったことを思い出した。